天国と地獄の実在性について

 前回のブログで「天国も地獄も自分の心がつくりだすものだから」と書きましたが、それについて私見を述べさせていただきます。

 5つほど例をあげて天国と地獄の実在性について考えていきます。

 ①以前テレビで紹介されていて印象に残った映像があります。ある人が雨の日に車を運転していてワイパーが壊れて動かなくなったのですが、ワイパーに紐をつけて、その紐を引っ張ってワイパーを動かせるようにしてワイパーを動かしていました。助手席の人も運転する人も「ワイパーが壊れていしまった」という状況を利用し、ワイパーで遊んで楽しんでいました。「ワイパーが壊れてしまった」という状況に対しての反応は人それぞれだと思います。テレビに映し出されていた人達のように状況を楽しむこともできますし、「クソ!今日はついてないな・・・」と愚痴を言いながら修理工場まで運転することもできます。

 ②イエス・キリストは十字架に磔にされました。肉体的には苦痛だったと思います。ですが、精神的には「神さんなんでやねん!」という気持ちもあったかもしれませんが、自分が磔にされるこで、多くの人々が救済されると考えれば、嬉々とした気持ちもあったと思います。

 イエス・キリストが磔にされた時、強盗二人も磔にされました。強盗二人はイエス・キリストと違い、おそらく磔が苦痛でしかなかったと思います。

 ③映画『アルマゲドン』で主人公は地球に衝突しようとする小惑星に残り、小惑星を地球に衝突させないための核爆弾のスイッチを押し、核の炎に焼かれるのですが、小惑星の地球への衝突という惨事を防ぐことができました。ああゆう状況に置かれたら大体の人が主人公と同じことをすると思います。その時大体の人は核の炎に焼かれながら「これで地球は救われた」という大きな達成感を味わいながら死ぬと思います。

 1945年8月6日、広島市の一般市民は核の炎に焼かれながら何を思っていたでしょうか?

 ④昔話で言われているような地獄が仮にあるとします。僕が死後そこに行ったとします。火炎地獄のような場所で業火で焼かれ続けるとします。その苦しみが100として、僕はなんとかそれが99になる方法を考え続けます。苦痛はあるでしょうが、改善点を探すことを喜びに変えて行きます。それにしても「どM」の人にとって地獄は天国なのでしょうか?もしそうなら僕が地獄に送られたらまずどうやって、どMになれるか考えます。

 ⑤女性が出産するときの痛みは尋常じゃないそうですね。ですが、生まれてくる赤ちゃんは天使です。

 5つの例を上げましたが、結局ある状況を地獄にするのも天国にするのも、当事者の在り方や考え方に左右されると思います。ですので「天国も地獄も自分の心がつくりだすものだから」という事になります。

 ジョン・レノンは夢想家であると同時に現実主義者でもあったと思います。

 ※2022年11月27日に記事の一部を書き直しました。