新たな人間の定義

 映画『シン・ウルトラマン』では地球外知的生命体のことを「外星人」と呼んでいました。映画を観終わった後、僕は「外星人」よりしっくりする呼び方がないか考えていました。その時思ったことがあります。 

 もし今後、地球外知的生命体が地球に誰の目にも明らかな形で来訪したとします。そのとき、日本では地球外知的生命体をどう呼称するのでしょうか。

 『シン・ウルトラマン』に登場する外星人は、手足があって二足歩行で頭が一つありました。ですが、もしワニや蜘蛛のような外見の存在が来訪したとして、呼称を「外星人」とすると「人」という言葉が入ると違和感を感じました。かといってその存在を「地球外知的生命体」と呼称するのは、想像すると距離感を感じ友好関係を深めにくいと思いました。

 ですが、考えてみると「人間」を外見で定義する必要はないのです。

 地球に来るワニや蜘蛛のような外見の地球外知的生命体は、おそらく技術だけでなく、精神性も霊性も進化した存在であると思います。そこから学び、地球上に住む人間の定義を、今までの定義とは違う、そうありたいという新たな定義に意識的に合わせていけば、ワニや蜘蛛のような外見の存在でも「外星人」という言葉がしっくりするようになると思います。外見で判断する人間の定義は、外星人が公式に来訪していない現在であっても、核心から離れた定義なのです。

 人間誰もが、誰かの助けがあってその人の今があり(無人島で自給自足の生活をしている人でも、誰かに助けられて大人になったはずです)、人間は人間同士の関係性の中で存在しており、人間誰もが人類全体としての意識的な進化のための必要不可欠な存在なのです。赤ちゃんも、寝たきりで動けない老人も、生まれつき手足の無い方も立派な人間なのです。

 南無神仏法華経成。