悪口の心構え

 「ラジオクラウド」には過去の『問わず語りの神田伯山』がすべて保存されていて、聞くことができます。僕は最初から順番に聞いているところですが、番組の内容の中心は悪口です。ですが、伯山さんの悪口の根底には悪口の対象者に対する愛があります。これは有吉さんやマツコさんにも言えることです。それがなければ、テレビやラジオで活躍し続けるのは難しいと思います。

 僕もこのブログで人の悪口を書くのですが気を付けている点が2点あります。

 ①ご家族を意識する
 最近ですと「加藤紗里からすべての毒を抜いたら清水あいりになるような気がします。」と書きました。ここで終わると加藤さんの悪口のみですが、そのあと良いところも書きました。

 バカリズムのクリスマスイブの入籍ダサいについても、おそらく奥さんの意向でクリスマスイブに入籍されたと思います。夫婦生活では相手の意見を尊重することも大切です。ですので僕が悪いといった内容にさせてもらっています。
 
 といった感じで悪口の対象者のご家族がもし目にしたとしても、できるだけ不快にならないようにという視点を持つように心がけています。

 ②暫定的正義
 僕には僕の正義がありますが、それは僕の認識の範囲内での正義です。相模原障害者殺傷事件の植松聖には植松聖の正義があります。それは狭く歪んだ認識ではありますが、植松聖の正義がありました。
 僕を含めだれでも人を憎んだり、心の中で人に「死ね」と思ったことはあると思います。だれの中にも小さな植松聖はいます。逆にだれの中にも、死して新型コロナウイルスの恐ろしさを教えてくれ、たくさんの人々を笑顔にしてくれた志村けんはいます。

 前回のブログの記事の「噓も方便」で「君たち危ないよ、おじさんが子供のころそんな遊びを友達がしていて、傘が目に刺さって大ケガしたことがあったんよ」と少し子供を脅したのですが、あれも余計なお世話のような気もします。もし注意だけして、そのあと子供たちが同じ遊びをして怪我をしたとしても、それはそれでその経験から何かを学ぶことができていたかもしれません。

 ひとの数だけ正義があります。僕は常に自分の正義は暫定的なものであると考えています。

 ひどい誹謗中傷は表現の自由ではなく犯罪です。ですがネットで表現されている一つの意見を悪口かそうでないかを判断するのは、物事の見かた、考え方、感じ方は人によって幅があるので、誰もが納得する答えが出ない場合があります。色々な場所で議論していくしかないと思います。

 「悪口は言わない、言わせない」という選択もあります。ですが不満や怒りがたまって爆発させる人を減らすために、ラジオやテレビに出演される方が、不満や怒りを代弁し、愛のある悪口によりそれを笑いに変えたり、ガス抜きをうながしたり、認識の幅を広げる見かたを示してくれることは、犯罪や争いを減らすために役立つことだと思います。