心理的な側面からみた民主主義と専制主義の違い

 僕はラジオ番組『問わず語りの神田伯山』が好きで聴き続けています。伯山さんは学生時代のオナニーの失敗が原因でEDになった話などを面白おかしく話されていました。

 ご自分がEDになった話をするのは、恥ずかしいので勇気のいることです。伯山さんがそういった話をすることで、勇気づけられ、癒される聴取者もいると思います。伯山さんはアンパンマンと同じように愛と勇気の人です。

 話が変わります。民主主義と専制主義の違いについて心理的な面から考えてみました。

 民主主義の特徴として公正な選挙、法の下の平等言論の自由基本的人権の尊重といったものがあります。専制主義の場合、言論の自由がありません。自由な言論を認めると、権力者が間違った政策をした時に権力者の立場を脅かすからです。ですので専制主義の場合失敗を隠します。そこには不安があります。不安だから言論の自由を認めないのです。不安は心を閉じ、隠し、怒り、攻撃します。不安は嘘をつかせます。

 逆に言論の自由を認めることができるのは、そこに愛があるからです。愛は心を開き、明るみに出し、ゆるし、癒します。愛は誠です。伯山さんがラジオでEDの話をしたり、人がSEXで裸になるも、アダルトビデオで俳優さんが裸になるのも、愛のある言動です。言論や表現の自由を認める制度は愛のある制度です。

 民主主義もいろいろな法的な罰則や、政治家が都合の悪いことを隠したりとかがあるので、民主主義が愛に基づいたもので、専制主義が不安に基づいたものであると単純化はできません。国にもよりますが、ざっくり言うと民主主義は55対45で愛の基づいたもののほうが比率が高いといえます。民主主義の理想を言えば、透明性を高め、一人ひとりが自身を律して法律を減らしていくことでしょう。

 もし、ばいきんまんのような民主主義を脅かすような奴が現れたら伯山さんが伯山パンチで懲らしめてくれることでしょう。

 ※2022年9月22日に加筆修正しました。