南無常不軽菩薩

 『日本的霊性』(鈴木大拙著)には

霊性は民族が或る程度の文化階段に進まぬと覚醒せられぬ。原始民族の意識にも、ある意味の霊性はないとは言われぬが、それは極めて原始性のものに過ぎないのである。これを純粋に精錬された霊性そのものだと思い誤ってはならぬ

と書かれています。

 鈴木大拙は上記のような見解にいたるために「文字、言葉」に頼っています。

 僕が何十年も前に観たテレビ番組ではインドのサドゥー(行者)を取材していました。ウイキペディアにはサドゥー(行者)について

断食や、僅かなバナナだけで山中に籠もる、数十年も片手を高く挙げ続ける、何年も片足立ちを続ける、転がりながらインド大陸を横断する、柱の上で生活するなど、サドゥーの苦行には決まった形式がない。」

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC
とあります。

そのテレビ番組で、あるサドゥー(行者)に取材者がどういう気持ちかを尋ねたのですが、「言葉にできない」という意味のことをおっしゃっていました。

 言葉は便利な道具ではありますが、真意が伝わりにくい場合もあります。

 2020-10-29 にこのブログで

核戦争や環境破壊によって人類が滅亡するのはよろしくありません。

 ですが、もしこれから生まれてくるすべての人類が同性愛者で、人類が滅亡したとしても、それはしかたないと思います。

と書きましたが、

もしこれから生まれてくるすべての人類が同性愛者で、人類が滅亡したとしても、それはしかたないと思います。

 
しか書いていなかったら微妙な意味合いが変わってきます。

また『日本的霊性』には

「浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んでいる人を妙好人と言っている。彼は、学問に秀でて教理をあげつらうというがわの人ではない。浄土系思想をみずからに体得して、それに生きている人である」


と書かれています。

 僕は「ブログ☆直幸」や「ブログ★なおゆき」で愛だのなんだのと書いてきました。僕自身も親切で、謙虚で、寛容で愛情深くいたいとは思っていますが、僕より親切で、謙虚で、寛容で、愛情深い人は、僕の周りに何人もいましたし、います。
 
 霊性に深く目覚め、愛情深い有名人に預言者ムハンマド、救世主イエス、覚者ガウタマ・シッダールタがいます。お三方は人々の救済のため口先だけでなく命がけで行動されました。お三方が有名になった理由の一つは「霊性や愛について言葉で表現するのがうまかった」からだと僕は思います。

 僕は、鈴木大拙が「原始的な霊性」と呼ぶものと「純粋に精錬された霊性」と呼ぶものに上下はないと思います。両方とも分類された一つの特徴です。(僕の言葉で呼ぶと「言葉でうまく説明できない霊性」と「言葉でうまく説明できる霊性」です)

 言葉で説明するのがうまかろうがへたであろうが、有名であろうが無名であろうが、愛情深い方に上下はありません。

 南無常不軽菩薩

 南無妙法蓮華経