南無神仏法華経成とは

 僕は、一応は天理教徒です。それほど熱心ではないので「一応」です。

 亡くなった僕の父は天理教の信者でした。母は天理教の信者です。天理教には「おつとめ」というものがあって「みかぐらうた」という一種のお祈りですが、それを歌います。時々僕も子供の頃やらされていました。

 子供の頃はそういったものに対して、親に付き合ってやっているという感覚でした。

 その「みかぐらうた」の一節に「あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと」というものがありあます。「てんりわうのみこと」というのは神のことです。「あしき」とは「八つのほこり」で「をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」です。

 僕の中にも「八つのほこり」は今でもあります。ですが今ではではそういう自分も受け入れ愛しています。「八つのほこり」と少しずつ上手につきあえるようになってきました。ですので、矛盾しているようではありますが、一旦受け入れたほうが、「あしき」を選択することが減ってきました。

 それと「あしきをはらうてたすけたまへてんりわうのみこと」だと「今はたすかってない」と思っていることになります。たすかっていたらたすけを求める必要はありません。

 もし今たすかっていなかったとしても「あしきをはろ(ら)うてたすけていただきありがとうございます」と祈って幸せになった自分に意識をむけるほうが早くたすかると思います。そのほうが気分が明るくなり、不安、イライラ、怒りも減りました。「笑う門には福来る」というように明るい気分でいるほうが、些細な事でも喜んでいられますし、幸福な出来事も増えます。

 というわけで僕はいつ頃からかは忘れましたが、一人でお祈りするときは「あしきをはろ(ら)うてたすけていただきありがとうございます」にかえてお祈りするようにしました。

 他にも「シンナムアミダブツhttps://naoyuki1968.hatenadiary.org/entry/20181219/1545221402」や「南無妙法蓮華経https://naoyuki1968.hatenablog.com/entry/2022/03/03/173802
」も併用していました。ですが、今年の4月頃にこの三つの祈りを一つにできないかなと思って、考えたのが「南無神仏法華経成」です。今の僕には南無神仏法華経成が一番しっくりしています。

 もちろん、何がしっくりするかは人それぞれです。
 「南無妙法蓮華経」で不安が減り、明るくなれる人はそれでいいのです。
 「南無阿弥陀仏」で不安が減り、明るくなれる人はそれでいいのです。
 「御名が崇められますように」で不安が減り、明るくなれる人はそれでいいのです。
 「神は偉大なり」で不安が減り、明るくなれる人はそれでいいのです。
 好きな歌詞の一節で不安が減り、明るくなれる人はそれでいいのです。
 好きな漫画の登場人物の言葉で不安が減り、明るくなれる人はそれでいいのです。
 ふざけているわけではありませんが「ピッポロ、ピロッポー」で不安が減り、明るくなれる人はそれでいいのです。

 道は人の数だけあります。

 南無神仏法華経成。

 ※2022年11月11日に記事の一部を修正しました。